ペリュリュー島で手を合わせる

tomokito2016-12-29

満喫したホテルを後にして、ペリュリュー島のツアーへ。ツアー会社の人がホテルに迎えに来ると言われていたのだったけど、まさか船で迎えに来るとは。

ペリュリュー島は第2次世界大戦において、最も激しい戦闘が繰り広げたところの1つ。パラオまで来るからには見ないといけないと思っていた。自分の目で見て、手を合わせたかった。当初は2-3日で陥落されると言われていたところを、日本軍がしぶとく抵抗し、戦闘は3ヶ月にも及んだという。1万2千人の日本軍が上陸し、生き残ったのは34人。胸がつかえるような苦しみがそこにあった。

防空壕や戦車や大砲などが島には残っていて、立派な神社まであった。一緒に行ったツアーの参加者がお線香を持参されていてみんなで手を合わせる。珊瑚礁が隆起してできて島だから地下水というものがないらしく、どの兵士も水不足に苦しんだという。墓碑の横にお水をかけて、彼らの魂が少しでも和らぎますようにと願った。渇水に苦しんだ人達のために、平和祈念公園の碑の天井は水が溜まるようになっていた。

今年の4月には天皇陛下が来られたのだけど、そのために陛下用と護衛用のヘリポートが2つ新しく作られていた。驚いたのは陛下が来日された日がパラオの祝日になっていたということ。パラオの優しさがそこに表れている気がする。最後にこの島に来れて本当によかった。海がキレイな国では終わらない歴史を感じることができた。敵国であったアメリカの大佐が1994年にこの島を再訪し、残していった碑に書き残した言葉がとても胸に刺さった。「この島を守ろうと戦いながら死んでいった日本の兵士達がいかに勇敢で愛国心に溢れていたかをここに記しておきたい。」そこに敵味方はない。

1つ嬉しかったこと。ペリュリュー島で働く日本人協力隊に会えたこと。人口200人のこの島には4人の日本人が住んでいて、その1人が隊員。離れた島で孤軍奮闘しながら頑張っている彼に会えたことが嬉しくて、関西のおばちゃんは持っていた日本のお菓子を差し出したのであります。