エチオピア人を信用するべきか?

tomokito2015-07-22

今回の旅は旅行代理店で飛行機とホテルを押さえてもらうついでに、空港からホテルの送迎や一部ローカルガイドもお願いした。もともとは飛行機だけ押さえてもらう予定だったのだけど、ガイドをつけると飛行機とホテル代がぐっと安くなるというのでついでにそうしたのだ。いつもなら空港に着いてからタクシーと交渉したりケンカしたりしながらホテルにたどり着き、コンパスや地図を使って観光に出掛けるのに、今回は全部連れて行ってくれるので楽ちん。でも何か物足りない。そして、なんかちょっと落ち着かない。

今日はゴンダールに続いて、そんな合間の1日フリーの日だったので、自分達で山の上にあるアシェトン聖マリア教会を目指すことに。レンタカーをすることもできたし、ロバで山を登ることもできたし、ガイドを雇うこともできたけど、村人に聞きながら自分達で行ってみること自体を楽しみたかった。1時間半くらいかかると思っていた道のりは予想以上にハードで、山道を登ること3時間。到着したときには、夫の足がおぼつかないくらいヘトヘトだったけど、自分達の足で登ったからこその達成感があった。

道中、何度もガイドを申し出たりついてこようとするエチオピア人がいて、その度に振り切ってきたけど、最後に出会ったエチオピア人は、自分はdeacon(聖職者の見習い)だと斜めがけにしているカバンから革の聖書を見せてくれて、教会に修道女として住んでいる祖母を訪問するので一緒に行くという。「エチオピア人は散々マニーマニーとお金を要求してくるので自分達だけで大丈夫だ」というと「そうじゃないエチオピア人もいるんだと思って欲しい」と。顔が穏やかな青年だったので結局そのまま2時間くらい一緒に歩いたら、結局山の上でも「一緒にここまで来たから何かプレゼントをくれ」と言う。アハーン、やっぱりね。ここまで連れてきてくれたことは確かだから少額の気持ちくらいは渡した方がいいという思いと、やっぱり最初の話と違うという気持ちと、今後外国人に同じようにこうやって言えばお金をもらえると思って欲しくないという気持ちの間で悩んだ結果、やっぱりお金はあげなかった。飴ちゃん渡してバイバイ。答えのない問いについて夫婦で色々話しながら下山。これで良かったという結論に2人で至ったけど、難しい。道を聞くときは失業中っぽい暇そうな男の人ではなく、忙しそうに歩いている女の人に聞くべし。

でも今日は本当にここまで来れて良かった。山道を登りながら、ロバに土を乗せて運んでいる人、牛で農地を耕している人、ものすごい長い木を肩に背負って山を歩いている人、岩を削って市場に売りに行っている人、彼らの日々の生活風景を垣間見た。そしてそうした人達を取り巻く景色が信じられない程美しく、日本の田園風景や山岳地帯を彷彿させる凛としたもので、心が洗われるようなすがすがしい気持ちになった。

下山後、午後は部屋でのんびり本を読んだり、洗濯したり、お昼寝したり。今日の教会は3200mの高さにあったせいか頭の奥がチリチリと痛い。この高山病の感覚がちょっと懐かしくもある。そう言えば、体にポツポツダニの跡が。ベッドなのか、山なのか。ダニ跡が体に残るこの感覚も何故か懐かしい。