気仙沼へ

tomokito2014-04-22

今日は初の気仙沼。米川から気仙沼まで4-50分車を走らせ、慰霊碑に手を合わせる。ここは300人の集落の内、100人近くが亡くなったという場所。避難場所に指定されていた場所が建物ごと波にのまれた。目を閉じると、彼らの悲鳴が聞こえてくるようで胸が痛い。

活動は明戸海岸という海岸で、各地から集められた被災物がを仕分けしていく作業。多くは網や釣り糸で、これが驚くほど頑丈に出来ている。これほど頑丈だからこそ、漁師の方々が海から魚をたくさん捕ってこれていたのだと改めて感じながら、ノコギリやハサミでひたすらにギコギコ切っていく。これ、このまま捨てると産業廃棄物になるそうなのだが、45cm角くらいに切って燃えるゴミの袋に入れて出すと、被災地の免税対象となり、ゴミの処分にお金がかからないのだそう。日本らしい細かいルールがあるもんだと思っていたら、一緒にボランティアをしていたおじさんが「行政はもっとフレキシブルになれないのか」と怒っていた。確かに、ガレキは全てなくなりましたと言いたいがために処理場を撤去したと思えなくもない。こうしたゴミも一緒に処理してから撤去すれば良かったのに。

網や釣り糸の他に、ボロボロになった子供用の水着や長靴、おもちゃ、靴下、色んな被災物があって、仕分けるたびに胸が痛む。これを身に付けていた人達が今も元気でありますようにと願う。

活動の後、気仙沼復興協会の方に向洋高校に案内してもらった。ここは、震災を忘れないようにと震災後のまま、一部を手つかずに置いているところ。テレビでは何度も見てきた光景だけど、本当にこうして校舎の中に何台もの車が連なりあっている様子を見ると信じられない光景に目を背けたくなる。一部のトイレは一切手をつけておらず、なんとも言えず立ちこめた匂いが震災直後のままだった。黒板に記載された震災当日の避難者のメモや3階まで押し寄せた津波の後、むき出しになった天井裏、壊れた窓、痛い痛い、胸が痛い。

帰り道、被災したお風呂を復興して再開している亀の湯さんでひとっ風呂浴びたら、お風呂上がりにお煮染めを出してくれた。なんか、どこもかしこもあったかい。今日もワイワイみんなでベースの晩ごはんを食べ、人数が多いからビンゴでお洗い当番を決めて、負けた私は洗い物。いつものようにお酒飲みながらセブンブリッジして、今日も勝って、心地よく就寝。そう言えば、今日が最後の宿泊だ。