東北を忘れていないと伝えたい

tomokito2014-04-19

そうそう、そうだった。宿泊している公民館の隣には村全体に聞こえる大きなスピーカーがあって、朝6時になるとエーデルワイスが流れる。朝の音楽だ。うるさい!

6時に目を覚ましてからちょっと二度寝して、顔洗って、朝ごはんの手伝いして、6時45分に朝食。普段はバナナとかコーンフレークとかくらいしか食べないのだけど、ここに来たら白ごはん、お味噌汁、おかず、卵、サラダとしっかり食べる。さらにお茶碗2杯分の昼ごはん用おにぎりも。いつもより朝も早いし、健康的な生活だ。

今日のボランティアは小学校脇に建てられた仮設の談話室でおばあちゃんやおじいちゃんとお喋りしたりオセロしたり、子ども達と卓球したり、サッカーしたり。卓球対決はかなり燃えたけど、サッカーは下手くそ呼ばわりされる始末。でも、お姉さんって呼んでくれたからいっか。みんなフレンドリーに話しかけてくれるのはいいけど、問題はとにかく言葉が分からないこと。1人のおばあちゃんに「どれくらい分かる?」って聞かれたから、控えめに「7割くらいでしょうか。」と言ったら、おばあちゃんみんなに「そんなにも分かんねぇのか?」って一斉に笑われた。いや本当は5割かそれ以下しか分からなかったし、「英語よりは分かります」って言ったけど実は英語の方が分かるんだとは言えなかった。こういうの、協力隊で途上国に行ったときと似てる。知らない人や分からないことに対する不安を隠してみんなの中に分け入っていく感じ、分からないけど分かったふりして笑ってごまかしてる感じ、あのときと一緒だ。

午後、仮設に住むおじいちゃんが桜の木の下で写真を撮ってくれて、記念だからと一旦自分の部屋戻ってプリンターで印刷して持ってきてくれた。インク代ってなんであんなに高いんだろうねと言いながら、自分のことで精一杯なのにこうやって写真をプレゼントしてくれるその優しさにじーんとした。

帰り道、小学校脇から眼下に広がる南三陸の町並みを見下ろした。町の平野部はほとんど流されて今も更地のままだ。

夜は晩ごはんを食べた後、フランス在住のおばさまが買ってきてくれたフランスワインで乾杯しているところに、いつもボランティアでお世話になる漁協部の漁師さんが遊びにやってきた。「震災で船も網も仕事場も失ったけれど、こうやって日本中世界中から手伝いに来てくれるボランティアの人達がいるからへこたれるわけにいかない。震災で失ったものも多いけど得たものも多いんだ」と。涙がこぼれそうになる。

東北に足を運ぶのは、そんな東北のことを忘れていないことを何かの形で表したいから。それがどこか自己満足であってもいいと思ってる。忘れてないことを示したいという気持ちの方が強い。