いつか元気な南三陸に

tomokito2013-07-30

今日は南三陸で一番大きいという250世帯くらいが住む仮設住宅横に設置された仮テントの集会場でお茶だし。9時くらいに行ったときにはもう25席くらいあるイスが全部埋まっているくらい大盛況だった。ひとしきり、コーヒーやお茶を運んだ後は、おばあさん、おじいさんの隣に座って話をする。

津波や海の話を自分からしないように、津波の日のことを自分から聞かないようにと言われていたのだけど、家族のことや年齢のことや職業のことなどを聞こうとしても、全てが津波に繋がっていくようで、何を話していいか分からず戸惑う。最初はひたすら聞いているだけで、途中で会話が止まってしまったりしても、話題に気を使いすぎて話しづらかった。でも、手元にあった南三陸のパンフレットを見ながら話すと、おばあさんの顔が生き生きして話しが止まらなくなったり、神戸の話から自然に震災の話になったり、あまり気を使いすぎなくてもいいのだということが少しずつ分かってきた。50年も前に行った函館の新婚旅行の話や、ずっと乗っていたマグロ漁船の話など、自分のおばあちゃんおじいちゃんと話をしているようで楽しかった。

お昼くらいにやってきた20歳くらいの男の子と話をしていたとき、気付いたら津波の話になっていた。病気を抱えている彼が、避難場所からヘリコプターで運ばれたときのこと、そのとき運んでくれた先生にかけられた言葉、ヘリコプターから見た南三陸の景色、自分の思い、その後薬が手に入らなかった時のこと、30分くらい話をしてくれて、私は泣かないようにすることだけで精一杯だった。やっとこんな話ができるようになったと少し笑ってくれた。話してくれてありがとう。

今日でボランティアも最終日。活動を通じて感じたことがたくさんあっただけでなく、多くの人との出会いもあった。ボランティアに来ている人たちは色んな人がいて、それも楽しかった。東京から定期的に車でボランティアに来て車で寝泊まりをしている60台の夫婦、娘が南三陸のボランティアに通っているから自分も生まれて初めてやってきたという50代のお父さん、教会の仲間たちでやってきたというおばさん達、学校の友達同士でやって来たという高校生、もう何十回来たか分からないという大学生、夏休みを利用してやって来た社会人、本当に色んな人たちがいた。1人でやって来た高校生が私の年齢を聞いて「うちの母親と同じですね」と言ったときは、予想以上に自分が歳を重ねていることに気付いた。今泊まっている米川ベースには私を含めて丑年の人が4人もいて、それだけでもなんて幅広い世代が集まっているんだとみんなで驚いた。

次また来るときにこの南三陸はどんな風になっているだろうか。まだだだっぴろく広がる津波の跡地には、2年半分の草が生えていて、その時間の経過を感じると共に、自然の強さを感じた。いつか元気な南三陸に会える日を楽しみに。