牡蠣の洗浄

tomokito2013-07-28

朝6時半起きで朝ごはんを食べ、昼食用のおにぎりを作って出発。今泊まっているところは、NGOカリタスジャパンが米川というところで借りている公民館。この米川ベースに寝泊まりしながら、毎日車で2-30分ほど離れたところにある南三陸のボランティアセンターに行き、そこでグループに分かれてボランティアをする。

今日は、志津川の漁業組合で水揚げした牡蠣の洗浄手伝いだった。牡蠣の周りについた貝や泥や石を取り除く作業や牡蠣の殻をブラシでこする。牡蠣ってこんなたくさんの行程を経て市場に出ているということに驚く。昔は、こうやって今ボランティアがやっている仕事に人を雇っていたんだそうだが、今は新しく設備を導入し、産業を立て直すだけでいっぱいいっぱいなのだそう。

働くことで得られる尊厳がある。彼らが津波の前のような日常を取り戻し、社会に組み込まれながら自分の仕事をこなすことで、自分は社会の役に立っているんだと感じられることこそが大事なんじゃないか。今日1日活動させていただいた志津川漁業組合の方が最後に「一番の復興はこの牡蠣が売れることです。南三陸の牡蠣は本当に美味しいと言ってもらえるように、たくさん牡蠣を売りたい。」と言っておられたのが印象的だった。活動終了後に振る舞ってくださった牡蠣はプリプリで、本当に美味しかった。お世辞や情けではなく、美味しい東北のものをどんどん買っていきたいと思った。

あともう1つ心に残ったこと。「津波の前は牡蠣が栄養失調だった。どこの漁師もみんな分かっていたけど、みんな儲けたいから減らすことはしなかった。でも、津波が起きて、牡蠣漁を一時中断していたことで、海が浄化され、プランクトンが増え、昔より短期間で身の引き締まったおいしい牡蠣ができるようになった」と。津波を経て失ったものはたくさんあるけれど、こうやって自然から教えられて進んでいくんだ。

今日は夜あえて、震災の写真集を片っ端から見ていった。作文や当時の新聞や津波にまつわる色んな読みものを読んだ。今日自分が歩いたあの辺りや、活動した漁港や、言葉を交わした人たちや、全ての場所や人や物が写真や文章の中でおんおん泣いていた。