クジラ

tomokito2009-07-04

友達の命日。海で繋がっていることを思い出す。

今日は1日ツアーで世界遺産バルデス半島を回る。あいにくオフシーズンでペンギンやシャチは見れなかったけど、なんと言ってもすごかったのはクジラを間近で見れたこと。巨体が飛び上がってジャンプする姿はとにかく圧巻だった。クジラが飛び上がる姿を見ながら、私は星野道夫さんが「旅をする木」で書いていたクジラの話を思い出していた。

 突然、一頭のクジラが目の前の海面から飛び上がったのだ。巨体は空へ飛び立つように宙へ舞い上がり、一瞬止まったかと思うと、そのままゆっくりと落下しながら海を爆発させていった。それは映画のスローモーションを見ているような壮大なシーンだった。
 やがて海に静けさが戻り、クジラはまるで何もなかったように力強く進んでいる。ブリーチングと呼ばれるその行動を、今まで何度か見てはいるが、これほど近くで眺めたことはない。人間は動物のすべての行動に解釈を試みようとするが、クジラが何を伝えようとしているのか、結局ぼくたちがわかることはないだろう。クジラはただ風を感じたかったのかもしれない、ただ何となく飛び上がってみたかったのかもしれない。
 が、目の前で起きた光景に友人は言葉を失っていた。彼女が打たれたものは、フレームの中の巨大なクジラではなく、それをとりまく自然の広がりだったのだろう。その中で生きるクジラの小ささだったのだろう。そして一瞬ではあったが、彼女がクジラと共有した時間だった。ずっと後になってから、彼女はこんなふうに語っていた。
 「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったかって?それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと・・・・東京に帰って、あの旅のことをどんなふうに伝えようかと考えたのだけれど、やっぱり無理だった。結局何も話すことができなかった・・・・」
 ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。 

それは別にクジラでなくてもいいんだと思う。でも、今日目にしたような時間がこうやって地球の裏側で確かにそこに存在していることを、私は意識していたい。