「おばあちゃんが、ぼけた。」

北海道で4人の子育て(彼女曰く、生き物の世話)をしている友達が、よりみちパン!セの「おばあちゃんが、ぼけた。」を送ってきてくれた。届いた日にあっという間に読み終え、1日あけた今日、もう一度同じ本を読み直す。

この本は教えてくれる。介護とは、ぼけてしまった老人を隔離部屋に入れ、おしめをつけ、ベットから離れないようにすることではない。食べ物を食べるのに時間がかかるからと、食べ物をミキサーにかけて食べさせることでもない。自分たちの基準を押しつけるのではなく、相手の時間や価値観にどれだけ寄り添うかが大切なんだと。家に帰りたいと施設から家を目指して歩き始める老人がいるからといって、施設に鉄格子を張り巡らせ、老人が施設から出てしまわないようにするのではなく、いかに彼ら自身の模索に寄り添えるか。そして、著者の村瀬さんは老人と一緒に歩き始めた。その老人がいつか「どんなに歩いても帰れない」現実を自分自身で見つけ出し、気が付くまで、一緒に歩いた。「ぼくたちはその混乱につきあうことにした。混乱をなくす努力ではなく、混乱につきあう努力だ。」

そして、こう書いていた。「『ぼけ』ることが素晴らしいなんて思わない。素晴らしいと思えることは、人はたとえ『ぼけ』ても一生懸命に生きるということ。そのことを認めない社会をぼくたちは望まない。」