昔の記憶にアクセスできるということ

昼過ぎにのっそり起きて、一緒に住んでいた方の祖母に電話。今日は元気がない。

祖母は最近少しずつ物忘れが始まっている。人の名前や色んな記憶が少しずつ遠のいている感じだ。電話をするたびに私の名前を確認するんだけど、いつか「ともちゃん」と言われなくなるかもしれないと思うと、胸をしめつけられるような気持ちになる。病気だとは分かっていても、なかなかその事実を受け入れるのが難しい。20年くらい一緒に住んだおばあちゃんだからね。

そんな祖母について、お世話をしてくれている姉からメールが届いた。「昨日、おばあちゃんがともちゃんに映画連れて行ってもらって楽しかったなーって言ってたよ。あれは忘れてないらしい。」

すごく嬉しかった。私との想い出を覚えていくれているということに対する嬉しさではなくて、おばあちゃんが楽しかった想い出を思い出すことが出来ているということが嬉しかった。昔の楽しかった記憶にまだアクセスすることが出来るのだ。全ての記憶を思い出すことは出来なくなっているかもしれない。そして、思い出せる記憶は日に日に少なくなっているのかもしれない。

でもそれでもいい。1つでも2つでも、楽しかった記憶を思い出すことができ続けますように。その記憶で、少しでも長く今を楽しむことが出来ますように。いつか私のことを忘れてしまうときが来ても、誰かと過ごした楽しかった日々がおばあちゃんを支えることができますように。