20年

tomokito2015-01-17

5時前に起きて家を出る。辺りはまだ真っ暗だけど、まばらながらに車が走っていて、信号は無機質に色を変えている。夜な夜な遊んだと見られる若者のグループやカップルが道ばたにたむろしている。近所にあるパン工場には明かりがついていて、パンの焼けるなんとも言えない香ばしい匂いが道中に漂っている。凛とした寒さが空気を支配していて、吐く息が心なしか白い。20年前の1月17日もこんな朝ったのだろうか。

花時計前で仲間と待ち合わせて東遊園地へ。灯りが灯された竹で作られた1.17の文字の回りを多くの人と報道陣が囲っている。もうこれ以上前に進めないくらいの数の人が埋め尽くしているのに、5時45分から時報が流れ始めると静寂が一面を覆い尽くし人の気配も感じられないくらいに静まりかえっている。5時46分が近づくと心臓がドキドキして、合わせる手にぐっと力が入る。黙祷。日の明けない中で朗読される遺族代表の「あわせて、東日本大震災で亡くなられた方々の冥福をお祈りします」の言葉に人としての優しさを感じ、「しあわせ運べるように」を一緒に歌って亡くなられた方々の冥福を祈る。

7時からモーニングを食べ、友達とお互いの20年を振り返りながらまた泣いて、今度は一路西宮市役所へ。ここからHAT神戸までの15kmを歩く震災メモリアルウォークに参加する。私は震災当時神戸にいなかったけれど、町を歩きながら、ここは家が倒れていたエリアだなとか道路がこの辺りから寸断されていたらしいとか話を聞きながら昔の神戸を頭の中で思い出す。偶然出会った友達家族など子供7人の先頭を歩いていたせいか、テレビ取材を受けて結構長いインタビュー。子供の親でもないし、引率でもないって言ったんだけど、小学2-5年生がたくさん歩いている風景が彼らの目を惹いたんだろうか。

東遊園地の震災の集いもメモリアルウォークも小学校や中高の子ども達、私達よりずっと若いと思われる世代の人達もたくさん参加していて、それがとても嬉しく思えた。直接震災の時代を生き、回りに震災で被害を受けた人がたくさんいる世代が今日という日を振り返ったり、今後の町の行方に思いを馳せるのはある意味当たり前だけど、大切なのは直接震災を経験していない若い世代にどうこの思いを伝え、語り継いでいくか。私の愛するこの町を大切に思っている若い世代の人達がいるということは希望だ。そしてそれを他人任せにせず、この町の一員である自分達にできることが何かを考えること。

美味しい中華で遅いランチを食べ、一旦家に帰ってから再びパジャマで集合した私達はそのまま銭湯へ。この銭湯でも延々と「しあわせ運べるように」が流れている。今日この歌を何回聴いて、何回心に染みたか。さて今日が終わる。節目は単に誰かが数えて決めたものだから、また同じように巡る明日をがんばろうってこと。

https://www.youtube.com/watch?v=6QcqKLvdBuo:MOVIE