カンボジアの頃が蘇る

tomokito2014-12-15

15年ぶりくらいに大学の友達に会って大阪でランチ。同じ時期に留学した仲間で、お互いの15年間を2時間でおさらいした結果、彼女が大学時代から変わらず何事にも真面目で全力投球しているということが分かった。仕事に結婚に子育てに。専業主婦のおかげでこうした懐かしの再会がある。

夜はルミナリエの消灯式に行こうと思っていたけど、結局家でちょいと仕事。夫に話を聞いてもらったり、夫に質問してもらったりすることで、来月行う中学生向けの授業で自分が話したいと思っていることや話した方がいいと思えることの整理ができた。カンボジア時代の児童労働や人身売買の話をメインにするので当時のDVDを見たのだけど、あのときの子ども達のことを思い出してオンオンと泣いてしまう。あんなに日々たくさんの思いを抱え、子ども達と一緒に泣いたり笑ったりしてきたのに、私の中であの頃の日々があまりにも遠い記憶になってしまっている。

先日、実家に置いてあった大学時代から今までの旅の日記やこれまでの海外日記をほぼ全て一気に捨てたのだけど、今日あの日記を捨てたことを後悔した。自分の記憶にないことはそんなに大切ではないと思っての断捨離だったけど、子ども達のことで一喜一憂しながら生きていたあの頃の日々をもう少し自分の中で復活させておきたかった。そして、当時自分が書いていたHPのカンボジア日記を読み出して止まらなくなる→コチラ

自分のことで泣くことより、子ども達の強さやたくましさや優しさに触れて泣くことがとても多い日々だった。当時の私の日記にはこう書いてあった。

2003/12/1(月)区切る難しさ

自分の感情と仕事はどこかでしっかり区切りをつけないとは分かってはいても、うまくいかないことがある。子どもの過去を知り、その子がくぐってきた想像を超えるような経験をどんなに客観的に仕事の対象として捉えようとしても、それはとても難しい。

今日は子どものそんな気持ちの端っこに触れて泣きそうになり、それをこらえることで必死だった。例え私の涙が流れても、彼女が耐えてきた苦しい過去が変わることはない。でも、彼らを精一杯想い、愛し、過去とは違う現在を与えることで、彼らが過去と現在の間にチョークで線を引く手伝いができたらと思う。