お墓はいらないと思ってたし

お墓は不要だと思っていたし、今もどこかでそう思ってる。誰かを本当に想っているのなら場所なんか関係ないし、世界のどこででも想うことが出来ると思っていた。そしてやっぱり今もそう思ってる。

でも、先日私の好きなNHKの「72時間」というドキュメンタリー番組でお墓に来る人を3日間ずっと取材するという特集で、若くして彼女を亡くした20代の男性が頻繁にお墓に通う様子が映し出されていて、ちょっとその考え方が変わった。彼はお墓に車を洗うジェット洗浄機のようなものをトランクで持ってきていて、いつもこの噴射機とスポンジですみずみまでお墓をきれいにして、それからその彼女と話をするのが心の安らぎなんだと言っていた。お墓を愛おしそうに洗いながら、お墓に向かって話しながら、泣いていた。もう彼女を亡くてして何年にもなるけど、ここに来ると彼女と話せるからお墓に通ってるんだと言っていた。

いつでも会いに行ける場所があるという安心感がお墓なのかもしれない。日本に帰属している、神戸が私の故郷だと思う気持ちとどこか似ているのかもしれない。それでも、なきゃいけないものとは思わないけれど、そこに存在することまでを否定しちゃだめだと思った。