議論がしたい?

夫の大学時代の親友がうちにやってきて、ビールとかゲームとか議論とか。

夫や夫の教え子が時々「議論がしたい」というのが理解できないと思っていた。議論というのは目的ではなくて、知りたいことがまずあって、それを知るための手段としてあるものと思っていたから。議論って聞くと英語のディベートを想像して、A対Bという対立構造で話を進めないといけないというイメージもあった。でも、議論が「色んな人の色んな意見を聞くためにある一定の立場を取りながら考えを多角的に掘り下げるもの」で「友達と普段する会話の延長」だとしたら、悪くないのかも。

今日は「頭がいい人とはどういう人か。その定義は?」とかそんな議論をしていた2人を横で傍観。なるほど、そういう考え方もあるのかとか、それって賛同できないよとか思いながら、たまに横から突っ込むくらいがちょうどいい。そして議論の中で夫が「自分にとって頭がいい人は、その人自身の知能指数というより、いかに他人を幸せにできるかどうかだ」と言うのを聞いて、やっぱり夫は私が好きになった人だと再確認。日本ではこういうのをのろけというのかもしれないけど、ステキなものはステキだと声に出した方がいい。

明日は台風直撃?