平和を信じるということ

1日家でテレビを見ていた。現実とは思えない映像を1日中ぼーっと目の端っこの方で見ながら、時々心が激しく揺さぶられる感じだった。心がざわざわするたびに、自分にできることを考えてみたりした。

こういうとき、人は罪悪感というものを感じたりする。東北や関東が大変なときに楽しいことをするのはなんとなく気が引けるとか、自分が被災していないことが申し訳ないとか、日本から離れていることが心苦しいとか、自分にできることはないとか、そんなことを思うことが少なくない。阪神・淡路大震災のとき、私はブラジルにいて、自分が神戸にいなくてみんなの苦しみを分かち合えないということにどこか後ろめたさを感じていた。「神戸にいなくて良かったね」と言われるたびに、なんとも言えない罪悪感とほんのちょっとの悲しさがあった。

でも、そんな罪悪感に悶々とする段階を終われば、自分自身が幸せでいることが、実は苦しんでいる人たちの力に繋がるかもしれないと思い始める。日々を幸せに過ごすこと、当たり前に生きていることを感謝すること、ありがとうを心から伝えること、人生を楽しんでたくさん笑うこと、こうした小さな当たり前の日常の1つ1つが平和へのエネルギーだということに気がつく。それは、被災地の人たちにとっては、ほとんど意味がなくて、苦しいときを過ごしている人たちを勇気づけることとは無縁であるように感じるかもしれないけど、今を苦しんでいる人たちがいつか同じように笑えることを祈りながら日々身の回りの平和をあたためることが、いつかこの社会やこの国を総体として平和にしていくことに繋がると信じたい。