1週間という時間軸

tomokito2009-10-23

東京を経ってから今日でちょうど1週間。でも1週間という時間軸に収めるには、あまりにも色んなことがあって、色んなことを感じて、色んな人に会って、それを1週間という単位で説明しようとすると、なんだかきつくて窮屈だ。

かといって、この1週間で旅の当初考えていたようにホンジュラスの2年間を振り返りっているかというと全然そんなことはない。今この旅で感じることや考えることがたくさんありすぎて振り返ってる暇がないと書くと的確ではないけれど、やっぱりこんな美しい海を前にじっくり2年間を思い出せるかと言うと、私の脳はやっぱりそんな作りになっていないわけで。ただただ、体いっぱいに太陽を浴びて、日に日に黒くなっていくだけだ。あまりにも焼けすぎて、裸になっても水着を着ているような濃淡なので、いっそのこと焼けていないところに花柄とか書いたら、水着を着ているように見えたりするのかなとか、多分世の中にはさして重要ではないようなことを考えているうちにいつの間にか時間が過ぎている。

水着と言えば、外人の水着はビキニのお尻部分が小さい。お尻を隠すためではなく、見せるために作られており、お尻が半分プリンと出ていてかっこいい。日本のビキニは水着がややデカパンで、これはいかん。なんて言うのかな、ビキニなのに隠そうとしているその中途半端な大きさが逆に恥ずかしい。いかんいかん、次のビキニは小さ目で。

海辺ではペリカンのような鳥が空の上からほぼ直角飛行で魚を取るという行為を繰り返していた。なんであんなに遠くからすぐにどこに魚がいるかが分かるんだろう。嗅覚ってすごい。人間の動物たる部分は少しずつ退化している感じがする。自分も含めて。

旅や日常や水着やペリカンや、そんな諸々を延々と考えているうちに、簡単に日は暮れる。