海はつながっている

国内出張。ガタガタ道に揺られる車中、余島での色んなことを思い出していた。

初めてヨットに乗せられたときのことは今でも覚えている。小学校5年生。何も教えられないまま1人用ヨットOPに乗せられ、海へと放り出された。シートをひっぱったらいいのか、ティラーを押せばいいのか引けばいいのか、とにかく何も分からず、海の上で怖さと不安で半泣きに。ラダリング(舵であるティラーをパドルのように動かして漕ぐこと)すると、モーターボートで監視中の建助さんから拡声器で怒鳴られた。心臓がギュッと縮むように怖かった。でも、そうして朝から晩までヨットに乗っているうちに風の捉え方を覚え、どうやったらヨットが前に進むのかが分かるようになってきた。今思い返してみれば、あれこそが「自分で見つけ出せ。体で覚えろ。」という建助さんの教えだったんだろう。自分で発見したこと、体で覚えたことは忘れないから。

風の掴み方が分かるようになって調子に乗っていたら「海で命を守るのは船や。命よりも船を大事にしろ」とよく叱られた。「危険と冒険は違う。危険なことはするな。冒険をしろ」とも。レースでは、コース取りに自信がなく前を行く艇のまねばかりしていた私に一言。「お前はまねし。サイアク。」風が強く白波が立っている日には海に出るかどうかを自分たちに決めさせた。「出ません」と言ったものの、友達たちが海に出て行く姿を見て羨ましくなり「やっぱり出たい」と伝えると、自分の決断に責任を持てと言われた。優柔不断な自分を悔やんだ。「海をなめるな」ともよく言っていた。

モーターボートに立ち、遠くを眺める海パン一丁の建助さんは海の男だった。体は真っ黒なのに笑い皺だけが白かった。次から次へと色んな場面が思い出される。そういえば「海はつながっている」とよく言ってたっけな。