算数を教えるということ

ここ数日、日本人の算数の先生の講義を何度か聞く機会があった。心に響くフレーズが何度もあって、そのたびに教育の深さを考えさせられる。

昨日は新規教員養成課程の生徒を教える先生対象の講義で、その先生がこんな問題を出された。「8枚のコインのうち1枚だけ偽物があります。何回天秤を使えば偽物が見つけ出せるでしょうか?」

先生達から出た答えは、8回という答えから7回、4回、3回、2回、1回という答えまで様々。ここで日本人の先生がさせたことは、何故そういう答えが出たのかを本人以外の人に考えさせるということ。友達の考えを想像する、理解するということは、その人を理解することだと先生は言う。そして、その友達の考えを理解したとき、そんな風に考えた友達をすごいと思ったり、その考えから新しい考えがうまれたりする。自分だけで解決できることはちっぽけだってことに気付くんだと。

講義では、まず8回と答えた人はどのように考えたのかを他の人に考えさせ、その後実際に8回と答えた人に何故そう答えたかを発表してもらった。8回と答えた人は、一通り自分の考えを説明した後「色んな人が自分の考えを理解しようと一生懸命になっているのは嬉しいもんだと分かった」とコメント。その後、7回や4回、3回などの答えに行き着いたわけも全員で考え、最終的に答えが2回だということをみんなで見つけてその講義は終了した。そして先生が言うこと。「正解は2回だけれど、それ以外の答えに行き着いた考え方は、どれも全て同様に論理的。そのことをきっちりと子供達に価値づけてあげること、これが大切なんです。」

算数を教えるということは、大げさかもしれないけど、生き方を教えるってことなんだね。