繋がっているということ

マラウイ帰りの友達と久々に長電話。どんなに長い間会わなくても、連絡を取らなくても絶対に繋がっていられる友達っているけど、この人はそんな人。

日本は真夜中だってのに、最近の私の凹みや悩みをとうとうと聞いてもらい、あったかい言葉や元気をたくさんもらう。そして友達が一言。「俺は心配してないよ。だってともは絶対大丈夫になるって分かってるから。」12月は今まで積み上がってきた自信や信念がガラガラと音を立てて崩れていくような下向きな月だったけど、それでも見えない力って働いてると思う。こうやって、魂が呼応することがある。ありがたいね。

この友達には一度すごく印象的な手紙をもらったことがある。私が自転車日本縦断旅行の途中で骨折をしてひどく落ち込んでいたときに送ってきてくれたもの。それは大きな白い模造紙一面に筆ペンでメッセージが書かれていて、その横には骨折をした私がギブスをはめてめそめそと泣いている絵。メッセージの下には何故かヒマワリ畑にライオンが混じっている絵が書かれてあって、その横に「間違いを探しましょう」とあり、間違いを書き込む欄まで用意されていた。そして最後に「直線は無機質だから模造紙を曲線にして送ります」とあって、模造紙の輪郭が手でちぎられて曲線になっていた。この人らしいあたたかさが染みた。

誰かとずっと繋がっていたいと思うとき、その人が男だとか女だとか、年上だとか年下だとか、今どこにいて何をしているかとかって関係ない。そういうことを越えて、人として繋がっているっていうこと。またいつかどこかで会う日まで。