TAIZO

地雷を踏んだらサヨウナラ。そう言ってこの世から姿を消した一ノ瀬泰造ドキュメンタリー映画を見に行った。ずっと見たくてずっと見れなかった映画。やっと見れた。映画が上映される前に、スクリーンの前に1人の青年が現れて、一ノ瀬泰造が両親や恩師、親友にあてた手紙を朗読。小さな映画館ならではの感じがとても○。

映画は、彼の手紙や両親や友人、新聞社の人たちのインタビューを織り交ぜながら彼の人生を淡々と追う。大げさではない演出、彼の言葉や写真に、私の感情はひどく揺さぶられた。

映画の最初は人は絶対に死んだらあかんと思っていた。彼の死を言い聞かせるように納得しようとしていた彼の両親を見ていたら、死をかけてまで価値のあることが存在するとは思えなかった。私自身も、死で身近な人たちがどんなに悲しく辛い気持ちになるかを見てきたし、感じてきた。死んだら全部が終わってしまうと思っていた。でも、本当に人は死んだらあかんのやろうか?本当に好きなことに打ち込み、人生を捧げたいと思えることであれば、それは人生を賭ける意味があるんじゃないか?彼の生き様を見るにつけ、映画の途中くらいから自分の考えが行ったり来たり。120%で生きた人に対して、あそこには行くべきじゃなかったという権利はあるんだろうか?

でも彼の写真が、戦火最前列の兵士達の厳しい姿から兵士の帰りを待つ家族や子供達へと変化していくのを見ていると、実は彼自身がそんな命の重さ、大切さを一番よく分かっていたんじゃないかと思う。いつまで経っても帰ってこないお兄ちゃんを玄関先で待つ少女、帰還する旦那さんを抱擁する妻、戦闘の合間に見せる兵士の笑顔、砲弾にあたって死んでいく兵士達。命を捧げてでもアンコールワットに近づきたいと言っていた一ノ瀬泰造だけれど、そんな写真を撮りながら、彼自身がどこかで「絶対に死んではいけない」と思っていたような気がする。あるべき命がそこにないこと、命があっという間に奪われていくことの不自然さは、彼がファインダーを通して一番感じていたはずだ。

彼のような人生は歩まない。歩めない。そこまでの危険は犯さないし、犯せない。だけど、彼に恥じないくらい、いつどんなことがあっても自分の人生に悔いなしと言える人生を歩んでいたい。