2つのドキュメンタリー映画

2つのドキュメンタリー映画を見た。

まず1つ目。国連大学で行われた、貧困と闘う子ども労働者たちに関するドキュメンタリー映画。そしてシンポジウム。児童労働に反対するゲストスピーカーやILOの代表が児童労働反対を熱く語り、10年以内に児童労働を撤廃出来ると宣言していた。もちろんそれが実現すれば素晴らしいと思う。そうあって欲しい。しかし、現実的にそれが本当に可能か?私の答えはノーだ。この世に存在する貧困を軽減することは出来ても、撤廃することは出来ない。児童労働を減らすことは出来ても、児童労働をこの世から根絶することは出来ないだろう。それなら、働いてる子供達を無理にその仕事からどうやって引き離せるかを考えるのではなく、働かなきゃいけない子供達に今どのような支援を行うべきかを考えるべきではないか。

私が専門としているノンフォーマル教育も同じ。全ての子供が学校に行ければ素晴らしい。そんな世の中になればいい。でも、現実では学校に行きたくても行けない子供達がいる。この子供達がどのようにすれば学校に行けるようになれるかを考えることはとても大切なことだけれど、今学校に行けない子供達に対してどのような代替の教育機会を与えてあげられるかを考えることはとても大切だと思うんだよね。

そんなこんなで、児童労働に対する私の考え方はILOと合致しないので、今日のシンポジウムはちょっと消化不良だった。でも、イギリスに行く前はこんな風に考えることってなかった。シンポジウムや講演会で聞くことは全て「正しいこと」だと思っていたし、それに対して疑問を感じることは自分の間違いに気付くことだと思っていた。イギリスで学んだcrytical thinkingはこうやって私の中に根付きつつある。

2つ目。シンポジウムの後もまた別のドキュメンタリー映画「ガーダ:パレスチナの詩」を見に行く。渋谷のUPLINK Xって初めて行ったけど、日本で一番小さい映画館なんだって。すごく気に入りました。3,40人入ったらいっぱいになりそうな小さい空間に置かれているのは色んな種類のイス。カフェみたい。入り口にはクッションや毛布まであって、すごく素敵な雰囲気なんだよね。おかげで、最初からリラックスモード。

この映画は、ある女性ジャーナリストが当時23歳だった女性ガーダを12年間ひたすら記録し続けたドキュメンタリー。カメラワークはお世辞にも上手とは言えないけれど、それを超えて余りある強いインパクトと大げさではないけれど強く太いメッセージがある。取材をする側にも取材をされる側にも強い意志と想いがあり、それが画面の向こうから伝わってくる。ひっきりなしに続く銃声のもと、いつ死ぬかなんて分からないけど、もしそうなったらそれが運命なのよと言いながらお菓子を焼く女性たち。外に出たら死んでしまうかもしれないけど、でも飼っている鶏に餌をやらなきゃと言いながら消えていく男性。戦争があっても、人が殺されても、どこかで日常に折り合いをつけて生きていかなきゃいけない現実。そんな中で人は強くなっていくのかな。ガーダのおばあさんたちが歌う歌がなんとも言えず胸をうつ。彼らは、歌うことが希望をつなぐと言って歌い続ける。そしてガーダは言う。人はそれぞれのやり方で闘っている。それは未来を担う子供達を育てることであり、過去を未来に伝えることであると。そうやってみんな闘いながらパレスチナで生きてきたんだと。

映画を見ると現実の世界から映画の世界にワープし、映画が終わるとその映画の世界からふっと現実に戻ってくるのだけど、今日はなかなか現実の世界に戻れなかった。外の世界はなんだか眩しくて、ちょっとくらくらした。これからアフガンに出発する友人と、渋谷の交差点が見渡せるスターバックスでコーヒーを飲みながら、ガーダの世界と渋谷が同じ地球上で繋がってるのは不思議だと思った。

今日はうんと長い雑文になってしまいました。