自分という人間を形作った母校

tomokito2015-05-24

朝から小中高時代の母校に行き、総会の準備。母校では、学年を問わない上下の同窓会みたいなものが毎年行われていて、私達の学年にそうした会合のお役目が回ってきて、来年私達の学年が幹事になった。今日はその下見も兼ねたお手伝い。

幹事なんて正直重たいなーと思わないことはないけど、どうせやるからには楽しみながら、ちゃんとやりたい。今日は来年どんな風にできるかなとか色々想像しつつも、懐かしい先生との久しぶりすぎる再会に心躍る日となった。

今日の私には自分の使命があった。それは、中高時代の水泳部の先生に当時の私の素行を謝ること。中学2-3年生の頃の私は全てのことにしらけていて、しらけることが自分らしさであると思ったり、先生にたてつくことがかっこいいと思っていた節があった。今考えるとすごくしょうもないし、先生には本当に謝っても謝りきれないひどい態度で接したりしていた。そのことがずっとこの年まで気になっていて、本当にこの20年、何かのタイミングで謝れることなら謝りたいと本当にずっと思っていたから、今日がそのチャンスだったのだ。

総会が終わってから、その先生に話しに言って、私はちょっと涙目になりながら先生に自分の愚行を謝った。先生はちょっと笑いながら私の話を聞いてくれて「私も若かったし、『べつに』としらけるあなた達をすーっと流すことができなかったんだよね。ある意味、私はあなた達から学ばせてもらったところがあると思ってる」と言ってくれて、その言葉にもまた泣きそうになった。思春期のとんがった私達はどんなにか面倒くさかったことだろうと思う。あの頃の自分に戻って態度を改めたいけど、そんなこともできないし、仕方ないけどそれも含めて私だ。でも、そんな恥ずかしい自分にこんな風に向き合う機会を改めて与えてもらったのは、この総会のおかげだと思う。

卒業以来お会いした当時の校長先生には、私がその先生のシスターのベールを引っこ抜いたことを謝った。確かアレは小学校4年生か5年生の頃だったと思う。先生が私の制服のリボンが乱れているからと、ちょっとふざけてほどいたことにどこか腹が立って、思わず先生のベールを引っこ抜いてしまったのだ。その場にいた上級生にも叱られ、後で校長室に謝りに行ったのだけど、今日先生にその話をしたら先生は全然そんなことを覚えていなくて、「そんなことあったっけ?」と笑っておられた。でも私の目を見て「あなたの目、全然かわってないから、すぐ分かったわ」とも。

今日は総会に来ていた先生方が1人ずつ母校との思い出を語ってくださったのだけど、1人1人のお言葉が本当に胸に染みて、そして改めてなんて素敵な先生達なんだろうと思えて幸せな気持ちになった。多くの先生達が「自分を先生にしてくれたのは、当時の生徒達だ」とか「子ども達に支えられてここまでなんとかやってこれた」とか言っていて、そんな謙虚さも先生達らしいなと思えた。

私の原点はこの学校にある。小学校からの多感な12年間をここで過ごせたこと。それは単なる偶然だったかもしれないけど、今の自分を形成する上で、偶然という一言では片付けられないくらいの必然性だったんだと思った。