「それでもボクはやってない」

周防監督の「それでもボクはやってない」。主人公が痴漢と間違われ、裁判を闘う様子を克明に描いた映画。2時間を超える長い映画だったけど、人間が人間を裁く裁判というものについて考えさせられる、とてもいい映画だった。監督曰く、この映画は「日本の裁判所を批判したもの」だそうだ。主人公の最後の淡々とした言葉が胸をつく。(ネタバレあり)

僕は心のどこかで裁判官なら分かってくれると信じていた。どれだけ裁判が厳しいものだと自分に言い聞かせても、本当にやっていないのだから有罪になるはずがない、そう思っていた。真実は神のみぞ知るといった裁判官がいるそうだが、それは違う。少なくとも僕は自分が犯人ではないという真実をを知っている。ならばこの裁判で本当に裁くことが出来る人間は僕しかいない。少なくとも僕は裁判官を裁くことが出来る。あなたは間違いを犯した。僕は絶対に無実なのだから。

僕は初めて理解した。裁判所は真実を明らかにする場所ではない。裁判は被告人が有罪であるか無罪であるかを、集められた証拠でとりあえず判断する場所にすぎないのだ。そして僕はとりあえず有罪になった。それが裁判所の判断だ。それでも僕はやってない。

「裁判で本当に裁くことが出来る人間は僕しかいない」という言葉が私の胸を深く突き刺した。人間が人間を裁くということは、真実を明らかにするために最大限の努力することであって、必ずしも真実を解明することではない。今さらそんな深い事実に気が付いて、そして怖くなった。裁判というのは人間が作り出した最大の皮肉なのかもしれない。