死生観

友達が読み終わった文庫本を定期的に送ってくれるので、いつも楽しみにちびちび読んでいる。最近読んだ梨木香歩の「西の魔女が死んだ」。ぼんわりとしたあったかさの残るいい本だった。

小学校の頃、「死」とか「無」とかそういう状態が一体何者なのか分からなくて、怖かった。終わりがないということがどういうことなのか、形のないものがどうやってこの世に存在するのか、何も考えられないってどういう状態なのか、そういう掴めないものに対する恐怖がすごく大きかった。学校からの帰リ道「死んだらどうなるのかが分からなくて怖い」と友達に初めて打ち明けたときのことも、お風呂場の脱衣場でおばあちゃんに「おばあちゃん、いつ死ぬの?」と聞いたときのことも、その質問におばあちゃんがびっくりして母に報告し、母がおばあちゃんに何故か「まあ、すみません」と言ったときの様子も、ネバーエンディングストーリーを見たときの衝撃も、全て鮮明に覚えている。

そんな頃の私と同じように「死んだらどうなるんだろう」と恐怖を抱くまいに対して、おばあちゃんが言う。

人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやって来たのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろんな説がありますけれど。ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと前から魂はあり、歳をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。

死は悲しいことだけれど、人が想像するほど後ろ向きなことでもないんだと思う。死んでからどうなるのか、まだはっきりとは分からないけど、身体が消えてなくなることは全てがなくなると言うことではない。それは分かる。子どもの頃よりは幾分か不安が取り除かれたそんな死生観をおばあちゃんがこんな風に言葉で説明していて、今日また私の中で死生観がどこかにすとんと落ちた。